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鹿児島地方裁判所 昭和44年(行ウ)1号 判決 1975年12月26日

鹿児島県川内市向田町八七一番地

原告

有村商事合資会社

右代表者請算人

有村篤義

右訴訟代理人弁護士

松村仲之助

村上新一

同市

若葉町一番二五号

被告

川内税務署長

本田元保

右指定代理人

小沢義彦

清水昭二

宮田正敏

村上悦雄

愛甲浦志

浜田国治

緒方茂三

右当事者間の昭和四四年(行ウ)第一号法人税更正処分取消請求事件について、当裁判所は昭和四九年一二月二日終結した口頭弁論に基づいて、次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

(一)  被告が原告の法人税について昭和三六年三月三一日付でした、昭和三一年六月九日から昭和三二年五月三一日までの事業年度(以下「昭和三一年事業年度」若しくは「昭和三一年度」という)および昭和三三年六月一日から昭和三四年五月三一日までの事業年度(以下「昭和三三年事業年度」若しくは「昭和三三年度」という)に関する各更正処分および重加算税賦課処分、ならびに昭和三二年六月一日から昭和三三年五月三一日までの事業年度(以下「昭和三二年事業年度」若しくは「昭和三二年度」という)に関する更正処分および重加算税賦課処分のうち、総所得金額三万〇、二七四円を超える部分に対する課税処分は、いずれもこれを取消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

主文と同旨の判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一)  原告は、昭和三一年六月九日設立され、石油およびたばこの小売業、映画興行等を事業目的とするものである。

(二)  原告は、原告の法人税について、昭和三一年度の所得金額を欠損二四二万四、五五三円、法人税額〇円、昭和三二年度の所得金額を欠損八四万五、六七六円、法人税額九、九九〇円、昭和三三年度の所得金額二三万七、八〇〇円、法人税額七万八、四七〇円として確定申告したところ、被告はいずれも昭和三六年三月三一日付で原告の法人税について、昭和三一年度の所得金額二四四万六、四七八円、法人税額九二万八、五六〇円、重加算税額四六万四、〇〇〇円、昭和三二年度の所得金額三二二万〇、六二八円、法人税額一一二万三、八二〇円、重加算税額五五万六、〇〇〇円、昭和三三年度の所得金額二九四万九、一二七円、法人税額一〇二万〇、六五〇円、重加算税額四七万一、〇〇〇円と更正および重加算税賦課処分(以下右更正処分および重加算税賦課処分を合わせて「本件更正処分等」という)をしたので、原告は被告に対し右各更正処分等につき昭和三六年四月二八日再調査請求をしたが、被告が三ヵ月以内に右請求に対する決定をしなかつたので、右請求は熊本国税局長に対する審査請求とみなされるに至つたにもかかわらず、同局長は現在に至るまで右審査請求に対する決定をしない。

(三)  原告が自ら再調査した結果によると、原告の昭和三一年度の所得金額は欠損七万二、五二五円、昭和三二年度の所得金額三万〇、二七四円、昭和三三年度の所得金額は欠損一八万五、一六七円である。

(四)  よつて、原告の昭和三一年および昭和三三年各事業年度に関する更正処分等、ならびに昭和三二年事業年度に関する本件更正処分等のうち所得金額三万〇、二七四円を超える部分はいずれも事実誤認に基づく違法なものであり、仮に事実誤認がないとしても、右(二)に記載のように永年にわたり審査請求に対する決定を放置することは、証拠の散逸、インフレによる貨弊価値の下落等により原告に計り知れない損失を与えるもので、右決定を放置すること自体違法なものというべきであるから、本件更正処分等の取消を求める。

二、請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因(一)および(二)の事実は認める。

(二)  同(三)の事実は否認する。

(三)  同(四)は争う。

三、被告の抗弁

(一)  原告の昭和三一年ないし昭和三三年の各事業年度における原告の所得金額の明細は、別表第一ないし第三の被告の主張欄記載のとおりである。

(二)  原告は、白色申告の法人であるが、昭和三四年一月から同年四月の間入場税法違反の嫌疑で熊本国税局(以下「国税局」という場合には「熊本国税局」をさす)間税部の強制調査を受け、同年七月国税犯則取締法第一四条に基づき国税局長から通告処分を受けた。

(三)  被告が、原告の各事業年度の所得の計算上総益金に算入したほ脱興行収入(以下「ほ脱興収」という)の算定根拠は、次のとおりである。

1. 原告会社代表者有村篤義(以下「篤義」という)は、当初個人で映画興行場「若草東映」および「有楽映劇」(以下右二映画館を合わせて「二館」という)を経営し、その興行収入(以下「興収」という)からほ脱した金員を、鹿児島銀行川内支店に「福山トキ子」なる偽名の普通預金口座を設けて預け入れていた。その後原告が設立され、右二館が原告に引継がれた後も、原告は右二館の興収をほ脱して、右福山トキ子名義の預金口座に預け入れていた。その後原告は、昭和三二年一月に右預金口座を解約し、一方昭和三一年一二月三一日同銀行に「東佐代子」という偽名の普通預金口座を別途開設し、その後は同預金口座にほ脱興収を預け入れていた。

2. 右各偽名預金(以下「本件簿外預金」という)の入金状況および同入金から被告が原告の各事業年度のほ脱興収を算定した詳細は、別表第四ないし第六の各一の映画興行収入金(ほ脱興収税込)計算表、ならびに別表第四の二、三および別表第五、第六の各二のほ脱興収算定明細表記載のとおりである。

四、抗弁に対する原告の答弁

(一)  抗弁(一)の事実に対する原告の答弁は、別表第一ないし第三の原告の答弁欄記載のとおりである。

(二)  同(二)の事実は認める。

(三)  同(三)の1のうち、原告が本件二口の簿外預金を有していたことおよび原告に若干のほ脱興収があつたことは認めるが、右簿外預金預入金の大部分がほ脱興収であつたとの点は否認する。

(四)  同(三)の2の被告主張のほ脱興収は、次のような諸点からみて不当である。

1. フイルム料金の比率について

映画興行における上映用フイルムは、映画製作会社からこれを賃借りするものであり、右フイルム料金の興収に対する比率(以下「フイルム料金の比率」という)は、映画興行成績を示す重要な一指標となる。フイルム料金の比率は、一般的に場末の映画館では安物のフイルムでこと足りるため、繁華街の一流館ほど高率で、場末の三流館ほど低率である。

昭和三三年度の国税局管内(熊本、大分、鹿児島、宮崎の四県)における甲第一九号証の一ないし六に登載されている二番線(「番線」とは、フイルムの持廻り順位をいう)以下の九九映画館のフイルム料金の比率は五二・六パーセントであり、原告経営の「若草東映」に匹敵する川内市内の「日南映劇」の右比率は、昭和三二年度が五六・二パーセント、昭和三三年度が五三パーセントである。また昭和三〇年度のフイルム料金の比率の全国標準は、五六パーセントないし五七・七パーセントである。

一方、原告のフイルム料金は、昭和三一年度一、〇一六万七、七〇七円、昭和三二年度九三一万〇、三一一円、昭和三三年度九六〇万六、二三一円であるから(因みに原告は、被告または国税局の調査において、フイルム料金の数額について疑義をさしはさまれたことはない)、右料金および被告主張の興収を基礎としてフイルム料金の比率を計算すると、昭和三一年度四四・〇パーセント、昭和三二年度四〇・九パーセント、昭和三三年度四六・一パーセントとなり、前記一般的なフイルム料金の比率に比べてきわめて低率であり(フイルム料金の比率が低率であることは粗利益が多いことを示す)、明らかに不合理である。

2. ほ脱入場人員について

被告は、原告の各事業年度におけるほ脱興収額を、いずれも国税局長が原告に対してした入場税法違反の通告処分の金額によつているが、右通告処分におけるほ脱期間は昭和三一年六月九日から昭和三四年一月一六日までの延九四九日間(休館、貸館日を含む)で、そのほ脱興収は二館で合計一、九七九万七、一二九円であるから、一日平均のほ脱興収は約二万一、〇〇〇円に達する。原告の若草東映の右期間における入場料金は大人で五五円ないし一五〇円であり、算術平均では一二三円となるから、右通告処分のほ脱興収相当額をほ脱するためには、大人に換算して平均一日一七〇人分をほ脱しなければならないことになるが、被告の調査によると、「若草東映」の昭和三五年一月一八日、同月一九日の各午後六時五〇分現在の入場人員がそれぞれ一六四人、一七七人となつており、結局原告はそのほ脱全期間を通じて毎日一日中で最も入場人員の多い時点における「若草東映」の入場者の入場料金全部に相当する額をほ脱した計算になる。

3. 興収ほ脱の時間帯について

入場券のたらい回し、現金入場等による興収ほ脱は、「有楽映劇」については日中から行なつていたが、「若草東映」については篤義の妻有村時子(以下「時子」という)がテケツ(入場券売り場)に入る午後六時ころからのみ行なつていたものであるところ、午後六時以降の入場者の全員分をほ脱しても被告主張のほ脱額に達しない。

4. 資産の蓄積等について

原告が、被告主張のような興収のほ脱をしたのであれば、これに伴う資産の蓄積があるはずであるのに、被告および国税局協議団において極力調査したにも拘らず、ほとんど蓄積資産はなかつた。

本件簿外預金は、預入がきわめて頻繁に行われているにもかかわらず、預金残高は最も多額の時で昭和三三年七月二三日の一八四万五、六九四円であり、通常一〇万円ないし三〇万円の間である。これは右預金が一度引出された金がまた預金されるといういわゆる循環預金であつたことを示すものである。

5. 刑事判決認定のほ脱税額について

国税局長の原告に対する昭和三四年七月一〇日付通告処分の履行に原告が応じなかつたため、国税局長から告発がなされたが、検察官は本件簿外預金の性質に疑問を持ち、本件簿外預金預入額を基本とする証拠書類をほとんど採用せず起訴された昭和三一年六月から昭和三四年一月までの原告のほ脱入場税額は、若草東映二〇万七、一五〇円、有楽映画一三万七、〇二〇円、合計三四万四、一七〇円で、判決でも右額がそのまま認定されたものであり、前記国税局長の告発したほ脱興収一、九八〇万三、一五九円、ほ脱税額三〇七万五、四七〇円と格段の差を生じている。

6. ほ脱日について

(1) 原告の興収ほ脱期間中、昭和三一年七月、昭和三二年七月、昭和三三年一二月を除き、各月とも原告経営の二館に対する被告係員の立会検査が一ヵ月に二日ないし六日行われている。被告は、立会検査日の当該映画館の入場者、入場料金等の実体を把握するので、立会検査日に興収をほ脱することは不可能である。ところが、被告の主張によると立会検査の行なわれた翌日に、次のとおり通算五二日間ほ脱興収が預金されたことになっている。

昭和三一年度分昭和三一年六月一二日ないし一五日、七月七日、八月二日、同月四日、同月一七日、九月二七日ないし二九日、一〇月四日ないし六日、一一月六日および七日

昭和三二年一月一〇日および一一日、二月二一日ないし二三日、三月一四日ないし一六日、三月二〇日、四月四日および五日、五月二三日ないし二五日

昭和三二年度分昭和三二年六月一二日ないし一四日、八月六日ないし一〇日、九月五日および六日、一〇月二六日、一一月一四日、一二月六日、

昭和三三年二月六日、三月二二日、四月二六日、五月九日

昭和三三年度分昭和三三年六月一三日、七月一八日、八月九日、九月一八日、一一月四日

(2) また、原告は昭和三二年七月二八日、慰安のため休館して従業員を海水浴にやつたため興収は全くなかつたのに、被告の主張によると翌日は興収預金があつたことになつている。

7. 推計方法の合理性について

一度に多額の簿外預金預入がある場合の被告のほ脱興収計算方法は、預入日以前の実績の平均値から当該預入金中のほ脱興収額を推計したもの、預入日前後の実績から推計したもの、預入日以後の実績から推計したもの等区々で合理性がない。

8. 銀行締切後の預金について

甲第三五号証の一ないし一三の本件簿外預金元帳には、「メ」印が付された預入が多いが、右符号は銀行締切後である午後三時以降に預金されたことを示すものである。ところで、原告はほ脱興収を、翌朝銀行員が集金に来た時渡すか、若しくは時子が翌朝銀行に持参して預金していたもので、銀行の締切時間後は興収以外の石油等の売上金を預金していた。したがつて、被告が締切後の預入金をほ脱興収としているのは明白な誤りである。

(五)  別表第四の一ないし三、第五および第六の各一、二に記載の具体的な誤りについて

1. 別表第四の二記載の昭和三一年九月三日の預入金一〇万八、〇〇〇円(うち被告は三万四、〇〇〇円をほ脱興収と主張)

同日原告の公表預金から東映株式会社に対するフイルム代として払出したが、その支払をせず本件簿外預金に預け入れたもの。

2. 別表第四の二記載の昭和三一年一〇月一五日の預入金五万六、〇〇〇円のうち五万円

篤義が個人として宇都要に貸していた貸金の返済分。

3. 別表第四の二記載の昭和三一年一〇月一九日の預入金三万六、〇〇〇円

石油代金の小切手入金。

4. 別表第五の二記載の昭和三三年三月一〇日の預入金一〇万円(うち被告は四万円をほ脱興収と主張)

右一〇万円は、原告の公表預金から本件簿外預金に振替えたもの。

5. 別表第五の二記載の昭和三三年五月三一日の預入金三六万円、四二万円、二二万円(うち被告は二二万円をほ脱興収と主張)

同日公表預金から本件簿外預金に一〇〇万円を振替えたもの。

6. 別表第六の二記載の昭和三三年八月二日の預入金一四三万円(うち被告は二四万円をほ脱興収と主張)

公表出納簿上支出が記帳されている現金を本件簿外預金に預け入れたもの。

7. 別表第六の二記載の昭和三三年九月二五日の預入金二〇万円

公表預金から振替えられたもの。

8. 別表第六の二記載の昭和三三年一〇月一六日の預入金原告の公表帳簿上東映株式会社に対するフイルム代として支出したが、その支払をせず本件簿外預金に預け入れたもの。

9. 別表第六の二記載の昭和三三年九月二七日の預入金一〇万円

篤義が個人として出口鶴義に貸していた貸金の返済分。

10. 別表第六の二記載の昭和三三年一二月一日の預入金六六万円(うち被告は一六万二、五〇〇円をほ脱興収と主張)

公表帳簿に太田に対し二〇万円、下馬場に三〇万円、藤井に一五万円、合計六五万円を支払として記帳したが、実際には右各支払はなく、右金員を本件簿外預金に預け入れたもの。

11. 別表第六の二記載の昭和三四年一月五日の預入金七〇万円

公表帳簿上支出が記帳されている現金を本件簿外預金に預け入れたもの。

12. 別表第六の二記載の昭和三四年一月一〇日の預入金一八万円

篤義の個人的金銭の預け入れ。

第三、証拠関係

一、原告

(一)  甲第一号証の一ないし三、第二、第三号証、第四号証の一ないし九、第五号証の一ないし一〇、第六号証の一ないし一二、第七号証の一ないし一二、第八号証の一ないし一一、第九ないし第一二号証、第一三号証の一、二、第一四号証の一、二、第一五ないし第一八号証、第一九号証の一ないし六、第二〇号証の一、二、第二一ないし第三四号証、第三五号証の一ないし一三、第三六ないし第三八号証、(第二八ないし第三四号証、第三七、第三八号証はいずれも写)を提出し、証人山之内郁雄、同永野政義の各証言および原告代表者有村篤義本人尋問の結果を援用。

(二)  乙第二三号証の五ないし一六、第二九号証の一、二、第三〇号証の一ないし三、第三一号証の一、二、第三二号証の一、二、第三三号証の一、二、第三四号証の一ないし三、第五〇号証、第五二、第五三号証、第六七号証の各成立、ならびに乙第三六ないし第四〇号証、第四一号証の一ないし五、第四二号証、第四三号証の一、二、第四四号証、第五九号証の一の各原本の存在およびその成立は、いずれも知らない。乙第二四ないし第二八号証、第四五号証、第四七号証、第五五号証の一、二、第五六号証、第五九号証の四ないし七、第六二号証の一ないし三、第六三ないし第六五号証、第六六号証の一、第六八、第六九号証の各原本の存在およびその成立、ならびにその余の乙号各証の成立は認める。

二、被告

(一)  乙第一号証の一ないし四、第二号証の一ないし一三、第三号証の一ないし四 第四号証の一、二、第五、第六号証、第七号証の一ないし一五、第八号証の一ないし一五、第九号証の一ないし三、第一〇号証の一、二、第一一、第一二号証、第一三号証の一ないし二〇、第一四号証の一ないし二〇、第一五号証の一ないし三、第一六、第一七号証、第一八号証の一ないし一六、第一九、第二〇号証、第二一号証の一、二、第二二号証、第二三号証の一ないし一六、第二四ないし第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇号証の一ないし三、第三一号証の一、二、第三二号証の一、二、第三三号証の一、二、第三四号証の一ないし三、第三五ないし第四〇号証、第四一号証の一ないし五、第四二号証、第四三号証の一、二、第四四ないし第五四号証、第五五号証の一、二、第五六ないし第五八号証、第五九号証の一ないし七、第六〇号証の一、二、第六一号証、第六二号証の一ないし三、第六三ないし第六五号証、第六六号証の一、二、第六七ないし第六九号証、第七〇号証の一ないし六、第七一号証の一ないし四、第七二号証、(第二四ないし第二八号証、第三六ないし第四〇号証、第四一号証の一ないし五、第四二号証、第四三号証の一、二、第四四、第四五号証、第四七号証、第五五号証の一、二、第五六号証、第五九号証の一、第五九号証の四ないし七、第六二号証の一ないし三、第六三ないし第六五号証、第六六号証の一、第六八、第六九号証はいずれも写)を提出し、証人米村隆(第一、二回)、同岩田勇、同田中光則(第一、二回)同福田他治郎の各証言を援用。

(二)  甲第一号証の一ないし三、第二、第三号証の各成立、ならびに第二八ないし第三四号証、第三七、第三八号証の各原本の存在およびその成立はいずれも認める。その余の甲号各証の成立は知らない。

理由

一、原告主張の請求原因事実のうち(一)ないし(三)の事実については、当事者間に争いがない。

被告主張の抗弁(一)の別表第一ないし第三のうち、各事業年度のほ脱興収額および興収の利益率を除くその余の事実、同(二)の事実、同(三)の1のうち、原告が若干の興収をほ脱したことおよび本件簿外預金を有していたこと、以上の事実については当事者間に争いがない。同(三)の2のうち、本件簿外預金口座の預入、払出状況が別表第四の二、三、同第五および第六の各二記載のとおりであることは、被告において明かに争わないからこれを自白したものとみなす。

二、まず、本件簿外預金の入金を基礎としてほ脱興収を算定することの当否について検討する。

(一)  成立に争いのない甲第一号証の一ないし三、乙第一九、第二〇号証、同第二一号証の一、同第二二号証、同第二三号証の一ないし四、原本の存在およびその成立に争いのない乙第二四、第二五号証、証人岩田勇、同田中光則(第一回)の各証言により真正に成立したものと認められる乙第二三号証の五ないし七、証人岩田勇の証言により真正に成立したものと認められる乙第三四号証の一ないし三、同三五号証、証人岩田勇、同米村隆(第一回)、同田中光則(第一回)の各証言、原告代表者本人尋問の結果によれば、次のような事実が認められる。

1. 篤義は、原告設立以前の昭和二一年から個人で「若草東映」を経営し、昭和三一年四月には「有楽映劇」をも買受けて二館を営むようになつたが、金融関係の便宜等から会社組織とすることとし、昭和三一年六月九日原告が設立され篤義が代表取締役に就任し、右二館も現物出資の形で原告に引継がれた。篤義は個人経営当時映画興行のほか、石油およびたばこの小売を営んでいたが、右営業も会社設立と同時に原告に引継がれた。

2. 篤義は昭和三一年中に、個人経営当時の昭和三〇年一〇月三日から昭和三一年二月一三日までの間、入場客から受取つた入場券の半片を切り取らずに再び販売するいわゆる入場券のたらいまわしや入場客に入場券を交付せずに現金で入場させる方法により、「若草東映」の入場税をほ脱したとして通告処分を受け(以下右事件を「第一回犯則事件」という)、同処分所定の金額を納付した。右第一回犯則事件当時、篤義は既に鹿児島銀行川内支店に本件福山トキ子名義の簿外預金口座を有していたが、第一回犯則事件における税務当局の調査の際には、右預金は発覚しないままに終つた。しかし、篤義の妻時子が簿外の帳簿にほ脱分も含めた実際の興収およびたばこの売上額を記載していたため、右帳簿上ほ脱興収額が明らかであり、これによつて確定されたほ脱興収額に基づき通告処分がなされた。右第一回犯則事件におけるほ脱興収総額は一九六万一、九一四円(前記乙第三四号証の一の「別口預金と二重帳簿とのほ脱興収の比較表」の「二重帳簿のほ脱興収」欄記載の金額は、同号証の「一日当り平均ほ脱興収表」の「ほ脱興収」欄記載の金額および前記乙第三五号証添付の別表に記載の金額に照らし、誤りと認められる)、ほ脱期間の日数は一三四日で一日当りの平均ほ脱興収額は一万四、六四一円(小数点以下切捨て)であつた。

3. 篤義は、第一回犯則事件後も個人経営および会社設立の前後を通じ前記と同様の方法により入場税のほ脱を続け、昭和三四年一月二五日国税局係員の強制調査を受け、その結果本件二口の簿外預金が発覚し、昭和三一年六月九日から昭和三四年一月一六日までの間二館の入場税をほ脱したとして、国税局長から原告に対し、昭和三四年七月一〇日付で通告処分がなされた(以下これを「第二回犯則事件」という)。被告が本訴において主張する各事業年度の興収ほ脱額(もつとも被告が昭和三一年度のほ脱興収として主張する別表第一に記載の金額と、その根拠とする別表第四の一ないし三に記載のほ脱興収額との間には金額の不一致がみられるが、この点は後記五で検討する)は、いずれも第二回犯則事件における通告処分の基礎となつたほ脱興収額と同一である。

第二回犯則事件においては、本件簿外預金発覚後昭和三四年二月一二日から同月一五日にかけて行われた当初の国税局係員の調査の際に、篤義および時子の両名とも、本件簿外預金の預入金は、そのほとんどがほ脱興収によるものであり石油の売上金等原告の経営する他の営業の収入金は一切含まれていない旨述べていたこと、原告備付の帳簿はきわめて杜擬で金銭出納帳も同出納帳記載の金額と手持ちの現金との照合さえもなされておらず、また第一回犯則事件の場合のようなほ脱興収を記載した裏帳簿もなく、原告の関係帳簿からほ脱額を確定する方法をとることができなかつたこと等の事情から、国税局係員は簿外預金を基礎として、同預金の入金のうち調査により興収以外の入金であることが判明したものおよび入金の金額、前後の預入額からほ脱興収以外の資金による入金であることが推測されるものを除外して、ほ脱興収額およびほ脱入場税額を算定した。

4. 第二回犯則事件における通告処分によれば、昭和三一年六月九日から昭和三四年一月一六日まで通算九五二日間の二館のほ脱興収総額は一、九八〇万三、一五九円で一日当り平均二万〇、八〇一円(小数点以下切捨て。以下同じ)となる(前記乙第三四号証の一に記載の計算は、前記甲第一号証の二、三、および別表第六の二記載の最終ほ脱年月日に照らし、ほ脱興収総額、ほ脱期間の通算日数につき誤りがあることが明らかである)。ところで、第一回犯則事件における興収のほ脱は「若草東映」一館のみであり、第二回犯則事件のほ脱期間中における二館の興収の比率は、若草東映七四パーセントに対し、有楽映劇が二六パーセントの割合であるから、第一回犯則事件における一日当りの平均ほ脱興収一万四、六一四円に右比率によつて有楽映画のほ脱分が加算されたものとして計算すると、一日当りの興収ほ脱額は一万九、七四八円となり、第二回犯則事件の通告処分のほ脱興収額を基礎として算出した前記一日当りの平均ほ脱興収額とほぼ一致する金額となる。

5. 本件簿外預金発覚後、国税局係員が簿外預金の入金を基礎として第二回犯則事件におけるほ脱興収額算定と同様の方法によつて、第一回犯則事件のほ脱期間である昭和三〇年一〇月三日から昭和三一年二月一三日までの興収ほ脱額を試算したところによると、右期間におけるほ脱興収総額は一八九万一、八九〇円となり、裏帳簿によつて税務当局が確定した前記興収ほ脱総額とほぼ一致する数値となる。

6. 昭和三〇年度から昭和三二年度にかけての映画興収の増加率は、昭和三〇年度を一〇〇とした場合、全国平均で昭和三一年度一一二パーセント、昭和三二年度一二三パーセント、国税局管内が昭和三一年度一一二パーセント、昭和三二年度一二四パーセント、川内市内の第三者経営の他の二館の昭和三一年度の分がそれぞれ一一〇パーセント、一一三パーセントである。一方、昭和三〇年度から昭和三二年度の各一〇月から翌年一月までの若草東映の興収の増加率を、申告額に第一回および第二回の各犯則事件における通告処分のほ脱興収額を加算して比較すると、昭和三〇年度を一〇〇とした場合(前記のとおり昭和三〇年一〇月から昭和三一年一月までの若草東映の興収額は、裏帳簿によつてきわめて明確になつているものである)、昭和三一年度が一〇九パーセント、昭和三二年度が一〇七パーセントとなり、第二回犯則事件における通告処分のほ脱興収額を加算しても、若草東映の興収の増加率は、前記全国平均、国税局管内の平均および川内市の他の二館のいずれの増加率よりも低いこととなる。

右のように認められる。

(二)  1. 右(一)の1の認定に反する証拠はない。

2. 右(一)の2の認定事実のうち、第一回犯則事件におけるほ脱興収額が裏帳簿によつて明らかであつたとの事実を除くその余の認定事実に反する証拠はない。原告代表者本人尋問の結果のうち、右除外部分の認定に反する、第一回犯則事件の通告処分のほ脱興収には石油売上金、自転車預り料等が含まれていた旨の供述は、前記乙第二四号証、同第三五号証、証人岩田勇の証言に照らしたやすく信用できず、他に右除外部分の認定を動かすに足りる証拠はない。

3. 右(一)の3の認定事実のうち、国税局係員の当初の調査の際に、篤義および時子が簿外預金の入金はほ脱興収によるもので石油の売上金等は含まれていない旨述べていたとの事実を除くその余の認定事実に反する証拠はない。原告代表者本人尋問の結果のうち右除外部分の認定に反する部分は、前記乙第一九、同第二〇号証、同第二一号証の一、同第二二号証、同第二三号証の一、同第二四号証、証人岩田勇、同田中光則(第一回)の各証言に照らしたやすく信用できず、他に右除外部分の認定を動かすに足りる証拠はない。

4. 右(一)の4ないし6の認定事実に反する証拠はない。

(三)  原告は、事実摘示第二の四の(四)に記載の諸点から本件簿外預金からほ脱興収を推計することの不当性を主張するので、以下この点につき検討する。

1. フイルム料金の比率について

成立に争いのない甲第一九号証の一ないし六、前記乙第二五号証によれば、フイルム料金の比率は税務当局においても興行者の興収申告額等の当否を検討する際の一資料として使用しているものであるが、しかし、右甲第一九号証の一ないし六に登載されている国税局管内の二番線以下の九九映画館のフイルム料金の比率をみても、最低三〇パーセント(佐伯税務署管内の住吉館)から最高八八・六パーセント(大分税務署管内の竹町太洋館)ときわめて幅が広く、また同一税務署管内であつても、例えば鹿児島税務署管内の五館が最低四八・九パーセント(日活銀座館)から最高五九・五パーセント(第一映劇)、宮崎税務署管内の一一館が最低三六・二パーセント(オリオン館)から最高五六・五パーセント(日活旭館)ときわめて区々であり、税務当局においてもフイルム料金の比率の単純な比較ではなく他の諸々の資料と合わせ興収ほ脱の有無が検討されるものであること、前記甲第一九号証の一ないし六に登載された九九館の平均フイルム料金の比率が五二・六パーセントで、しかも右九九館のうちの四一館(但し、小林税務署管内のスバル座、小林東映、小林南映のフイルム料金の比率は三館分を合わせて記載してあるが、それぞれ別個に三館として計算)のフイルム料金の比率が五〇パーセント未満であり、本件において被告の主張するほ脱興収額を加えて算定された原告のフイルム料金の比率である昭和三一年度四四・〇パーセント、昭和三二年度四〇・九パーセント、昭和三三年度四六・一パーセントという数値も、他館に比べ異常に低率であるとはいえず、通常域の範囲内にあること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。右認定の事実によれば、フイルム料金の比率の点からみて被告主張の興収ほ脱額が不合理なものとはいえない。

2. ほ脱入場人員について

前記(一)の4に認定のように、第一回犯則事件における一日当りの平均ほ脱興収額と第二回犯則事件における通告処分のほ脱興収を基礎とした一日当りの平均ほ脱興収がほぼ一致することに照らすと、仮に被告が本訴において主張する一日当りの平均ほ脱興収額が、昭和三五年一月一八日、同月一九日の一時点における若草東映の入場者全員の入場料金に匹敵することになるとしても、右事実をもつて被告主張のほ脱額の合理性に疑問を生ずるものとはいえない。

3. 興収ほ脱の時間帯について

成立に争いのない甲第二三、同第二四号証、同第三四号証、前記乙第二一号証の一、同第二二号証、同第二三号証の一には、若草東映における入場券のたらい回し等は時子がテケツに入る午後六時以降になされ昼間はしていなかつた旨の篤義および時子ならびに若草東映の従業員上野富子、鳥井玲子の供述記載がある。しかし、有楽映劇の分については原告も、昼間も入場券のたらいまわしが行われていたことを自認していること、前記乙第三五号証によれば、第一回犯則事件における入場券のたらい回し等が夜間に限定されていなかつたことが認められること、同事件後篤義や時子らにおいてほ脱の仕方を変えたことをうかがわせる証拠はないこと、以上の事実および乙第二五号証に照らして考えると、若草東映における入場券のたらい回し等が夜間に限定されていた旨の前記各書証に記載の供述はいずれもたやすく信用できず、他に若草東映における入場券のたらい回し等が夜間に限定されていたことをうかがわせる証拠はない。

4. 資産の蓄積等について

前記乙第二四号証、原本の存在およびその成立につき争いのない乙第二七号証、同第四五号証、証人米村隆の証言(第一回)によれば、税務当局においても本件課税処分およびこれに対する審査請求の際、ほ脱興収の使途についての調査をしたが 被告主張のほ脱興収の約半額位についてはその使途の解明ができなかつたこと。右使途の解明が十分尽くされなかつたのは原告が簿外預金の資金源およびその金額につき度々主張を変更したり、篤義個人の借入金の返済にあてたといいながらその借入先の名前を秘する等税務当局の調査に非協力的であつたことにも原因があつたことが認められ、右認定の事実によれば、簿外預金の使途の解明および蓄積資産が確認されず、またその預入および払出状況が頻繁であるからといつて、本件簿外預金がほ脱興収によるものでないとはいえない。

5. 刑事判決認定のほ脱税額について

前記甲第一号証の二、成立に争いのない甲第二号証、原本の存在およびその成立に争いのない甲第二八号証によれば、原告は所定の期間内に第二回犯則事件につき国税局長が通告処分によつて命じた納付額の支払をしなかつたため、告発がなされて起訴されたが、検察官の起訴および第一審裁判所が判決で認定した入場税ほ脱税額は合計三四万四、一七〇円であり(右判決は第一審限りで確定)、通告処分におけるほ脱税額が三〇七万五、四七〇円とされていたのと比較し、格段の相違があつたことが認められる。しかし、前記甲第二八号証、乙第二四号証、証人岩田勇の証言によれば、右のように起訴額が少額となつたのは、担当検察官においても必ずしも通告処分の内容どおりのほ脱興収がなかつたとの心証を得たわけではなかつたが、検察官の取調の際篤義が本件簿外預金にはほ脱興収のみではなく他の売上金も含まれている旨主張したこと等から、検察官としては、国税局による原告の隠匿財産の調査等が十分でなく篤義の右主張を完全に排斥することは困難と考え、篤義、時子、その他原告経営の二館の従業員等ほ脱に関与した者を取調べ、その供述からほ脱税額を確定する方法によることとしたため、その起訴額および前記確定判決の認定額が前記のとおり通告処分額を大幅に下まわることになつたことが認められる。右認定の事実に照らすと、結局本件において被告が主張するほ脱興収の当否は、簿外預金から推計することの合理性の有無に帰するのであり、右刑事事件における確定判決の認定額如何に左右されないものというべきである。

6. ほ脱日について

(1)  原告は、被告の主張によればほ脱の不可能な税務署の立会検査の日にほ脱が行われたことになつている旨主張するので、まずこの点につき検討する。

前記乙第二五号証、原本の存在およびその成立に争いのない乙第六八号証によれば、税務署員が直接映画館に臨んで入場券の発売状況、入場者数等の調査を行う立会検査の方法には、開館から閉館まで終日立会う終日立会検査、一時間ないし二時間位立会う一定時間立会検査、およびきわめて短時間立会うのぞき検査の三つがあり、一館につき行われる立会検査の回数は、終日立会検査が年間一回位、一定時間立会検査およびのぞき検査の双方を合わせて一カ月二ないし四回程度で、のぞき検査の方法による場合が多いこと、一定時間立会検査およびのぞき検査の場合には、前記のような検査の方法に照らし、立会検査の行われた日であつてもほ脱が可能であることが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。したがつて、立会検査の行われた日にほ脱が行われていることになつたとしても、簿外預金を基礎とする被告主張の合理性が左右されるものではない。

(2)  次に、昭和三二年七月二八日は休館したのに被告の主張によるその翌日ほ脱興収の預金があつたことになる旨主張するので、この点につき判断する。

昭和三二年七月二八日は日曜日であることが明らかであり、したがつて、銀行の休日の関係上同月二七日の土曜日の原告の興収が、同月二九日の月曜日に預金されることは十分ありうることである。したがつて、原告の右主張も、被告の主張の合理性を左右するものではない。

7. 推計方法の合理性について

前記二の(一)の2ないし6に認定の事実に照らして考えると、被告のほ脱興収の計算方法が原告主張のように区々になつているからということのみで、その計算方法に合理性がないとはいえない。

8. 銀行締切後の預金について

(1)  成立に争いのない甲第三五号証の一ないし一三、同第三六号証によれば、本件簿外預金元帳には「メ」印の付された預入があり、右は平日の場合は午後三時、土曜日は午後一二時以降に預け入れられたものであることが認められる。

(2)  そこで、右預入が石油等の売上金の預入であるかどうかを検討する。

(イ) 証人田中光則(第一回)、同岩田勇の各証言により真正に成立したものと認められる乙第三九号証、証人岩田勇の証言により真正に成立したものと認められる乙第四一号証、証人福田他治郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第四三号証の一には、原告は簿外で石油を仕入れその売上金は本件簿外預金に預け入れていた旨の供述記載がある。しかし、右記載の各供述は、その仕入先、仕入期間、仕入量、販売方法等につき各人の供述自体があいまいであるばかりでなく、各人の供述相互の間に矛盾の多いこと、および前記乙第一九、同第二〇号証、同第二二号証、同第二三号証の一、証人福田他治郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第三六号ないし第三八号証、同第四三号証の二、証人田中光則(第一回)および同岩田勇の各証言により真正に成立したものと認められる乙第四〇号証、証人岩田勇の証言により真正に成立したものと認められる乙第四二号証、証人田中光則の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第四四号証に照らしたやすく信用できず、他に原告に簿外の石油仕入があつたことをうかがわせる証拠はない。

(ロ) 原本の存在およびその成立に争いのない甲第三四号証には、たばこや石油の売上金を本件簿外預金に預けられていた旨の時子の供述記載があり、また篤義は代表者本人尋問において、本件簿外預金には午後三時以後石油の売掛金の入金があつた分等を預け入れていた旨供述している。しかし、右石油の売上金が簿外の仕入分でないとすれば(たばこについてはその商品の性質上簿外の仕入ということは通常考えられない)、何故にその売上金を簿外預金に預け入れる必要性があつたのかはなはだ疑問であること、および前記乙第一九、同第二〇号証、同第二一号証の一、同第二二号証、同第二三号証の一に照らし、前記時子の供述記載および篤義の供述はたやすく信用できず、他に原告の公表帳簿上正規に仕入がなされた石油等の売上金が本件簿外預金に預け入れられていたことをうかがわせる証拠はない。

(3)  右の事実に照らすと、本件簿外預金には石油の売上金等は預け入れられていなかつたものというべく、したがつて、銀行締切後の預金かどうかによつてほ脱興収の預入かどうか左右されるものでもないというべきである。

(四)  右(一)ないし(三)を総合すれば、結局本件簿外預金には石油、たばこ等の売上金が預け入れられたことはなく、主としてほ脱興収が預金されていたものであり、したがつて、本件簿外預金を基礎として原告の各事業年度のほ脱興収を推計する方法には合理性があり、各個別的具体的入金につき興収以外のものによることをうかがわせる事情のない限り、被告主張の各簿外預金の入金はほ脱興収によるものと認めるのが相当である。

三、そこで原告は、被告のほ脱興収の主張には事実摘示第二の四の(五)に記載の具体的誤りがある旨主張するので、以下この点につき検討する。

1. 別表第四の二記載の昭和三一年九月三日の預入金一〇万八、〇〇〇円(被告はこのうち三万四、〇〇〇円をほ脱興収と主張)について

成立に争いのない乙第四六号証によれば、鹿児島銀行川内支店の原告の公表普通預金口座から一〇万円前後の金額の払出がなされているのは、一〇万八、〇〇〇円が簿外預金に入金された二日後の昭和三一年九月五日であり、もし同月三日の簿外預金への預け入れが公表預金からの払出しに基くものとすれば、公表預金からの払出がなされておるべき同月三日およびそれ以前の二、三日内に公表預金から一〇万円前後の払出がなされた事実は認められない。したがつて、前記簿外預金の入金が公表預金からの払出金によるものとは認め難い。

2. 別表第四の二記載の昭和三一年一〇月一五日の預入金五万六、〇〇〇円のうち五万円について

成立に争いのない乙第四七号証、同第四九号証によれば、宇都要から篤義に対し、昭和三一年九月一七日、同年一〇月二五日にそれぞれ各五万円の貸金の返済がなされたことが認められるが、右の九月一七日の弁済以外に右簿外預金の入金日である同年一〇月一五日までの間に宇都要からの貸金の返済がなされたことをうかがわせる証拠はないから、右の同年一〇月一五日の簿外預金の入金が宇都要からの返済金によるものとは認め難い。

3. 別表第四の二記載の昭和三一年一〇月一九日の預入金三万六、〇〇〇円について

証人山之内郁雄の証言中には、右入金が小切手によるものである旨の証言部分があるが、右証言は何らその根帰が明らかでないばかりでなく、同証人自ら他の証言部分において右小切手による入金である旨の証言が思い違いであつたかのような証言をしており、とうてい同証人の証言は信用できず、他に右入金が小切手によるものであることをうかがわせる証拠はない。

4. 別表第五の二記載の昭和三三年三月一〇日の預入金一〇万円(うち被告は四万円をほ脱興収と主張)について

前記乙第四六号証によれば、原告の公表預金から昭和三三年三月一〇日に一〇万円が払出されていることが認められる。しかし、成立に争いのない乙第五一号証、証人米村隆の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙第五〇号証によれば、右当日には、原告が東宝株式会社に対するフイルム代支払のため振出した金額一〇万円の手形が支払われていることが認められるから、右公表預金からの払出金一〇万円は右手形の支払にあてられたものとみるのが相当である。証人山之内郁雄の証言中には、右簿外預金の入金は、原告の金銭出納簿上仮装借入金の返済という形をとつて払出した現金が入金されたものである旨の証言があるが、右証言は成立に争いのない乙第二一号証の二に照らしてたやすく信用できず、他に右入金が公表預金からの払出金であることをうかがわせる証拠はない。

5. 別表第五の二記載の昭和三三年五月三一日の預入金三六万円、四二万円、二二万円(うち被告は二二万円をほ脱興収と主張)について

前記乙第四六号証によれば、原告の公表預金から昭和三三年五月三一日、一万五、七九〇円、一〇〇万円、二五万七、二九二円、五〇万円の四口、合計一七七万三、〇八二円の払出がなされていることが認められる。しかし、証人米村隆の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙第五二号証によれば、同日原告は日米鉱油株式会社に対し、石油代金の支払として現金で九〇万円、同年二月二七日振出した同年五月三一日満期の手形金八〇万円、合計一七〇万円を支払つていることが認められるから、前記公表預金からの払出金一〇〇万円は右日米鉱油株式会社に対する支払金にあてられたものとみるのが相当である。証人山之内郁雄の証言中には、右簿外預金の入金が原告の公表帳簿上借入金の返済があつたように仮装して入金されたものである旨の証言がある。しかし、前記乙第二一号証の二によれば、公表帳簿上昭和三三年五月三一日に借入金の返済があつたとして記載されている額は合計七四万円であり、右金額は被告が同日の簿外預金の入金のうちほ脱興収以外の入金であるとしている二口合計七八万円ともほぼ一致することが認められることに照らして考えると、前記二二万円の入金分までがほ脱興収以外の他の資金による入金であるとは認め難い。

6. 別表第六の二記載の昭和三三年八月二日の預入金一四三万円(うち被告は二四万円をほ脱興収と主張)について

前記乙第四六号証によれば、原告の公表預金から昭和三三年七月三〇日に一二五万三、〇〇〇円の払出がなされていることが認められる。しかし、前記乙第五二号証によれば、原告は同日、日米鉱油株式会社に対する石油代金支払のための同日満期の手形二通金額合計二〇〇万円((1)昭和三三年四月二八日振出、金額五〇万円、(2)同年五月二九日振出、金額一五〇万円)を支払つていることが認められるから、右公表預金からの払出金は右手形の支払にあてたものとみるのが相当である。他に右簿外預金の入金が興収以外の何らかの資金をもつてなされたことをうかがわせる証拠はない。

7. 別表第六の二記載の昭和三三年九月二五日の預入金二〇万円について

前記乙第四六号証によれば、原告の公表預金から昭和三三年九月二五日二〇万円の払出がなされていることが認められる。しかし、前記乙第五一号証、成立に争いのない乙第五四号証によれば、原告は同日東映株式会社に対し、フイルム代として現金で二〇万円を支払つていることが認められるから前記公表預金からの払出金二〇万円は右フイルム代の支払にあてられたものとみるのが相当である。証人山之内郁雄の証言中には、右簿外預金の入金が公表預金からの入金である旨の証言があるが、同証言には前後矛盾した点がみられることおよび前記乙第五一号証、同第五四号証に照らしたやすく信用できない。

8. 別表第六の二記載の昭和三三年一〇月一六日の預入金一三万円について

前記乙第五一号証、同第五四号証によれば、原告は昭和三六年一〇月一六日東映株式会社に対し、フイルム代として現実に一五万円を支払つていることが認められる。

9. 別表第六の二記載の昭和三三年一〇月二七日の預入金一〇万円について

原本の存在およびその成立に争いのない乙第五五号証の一、同第五六号証には、昭和三三年一〇月二七日に篤義の個人としての出口鶴義に対する貸金一〇万円が返済された旨、および右金員が同日本件簿外預金に入金された旨の記載がある。しかし、原本の存在およびその成立に争いのない乙第二六号証、成立に争いのない乙第五七号証、証人田中光則の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙第五九号証の一によれば、入場税の課税処分に対する審査請求において、原告から篤義個人の貸金の返済金が簿外預金に入金された分があるとの主張がなされたこと、その額は当初三〇〇万円位の主張であつたがその後三回にわたつて変更され最終的には一、四〇〇万円位に増額されたこと、右変更はいずれも国税局協議団係員の追及を受け、ほ脱興収の総額が原告主張額と一致するよう辻褄をあわせるものであつたこと、篤義作成の前記乙第五五号証の一も右審査請求の際篤義の記憶のみに基づいて作成されたもので帳簿等の根拠はないこと、前記乙第五七号証を作成した出口鶴義は国税局協議団の係員から後日調査するので関係帳簿を保存しておくよう命ぜられたにもかかわらず、後に焼却してしまつた旨申述べるに至つたこと、以上の事実が認められ、右事実および前記乙第四九号証に照らして考えると、前記乙第五五号証の一および第五六号証に記載の内容はたやすく信用できず、他に昭和三三年一〇月二七日の簿外預金の入金一〇万円が篤義個人の貸金の返済金をもつて入金されたことをうかがわせる証拠はない。

10. 別表第六の二記載の昭和三三年一二月一日の預入金六六万円(うち被告は一六万二、五〇〇円をほ脱興収と主張)について

前記乙第二一号証の二によれば、原告の公表帳簿上太田献、下馬場広義、前隆雄の三名に対し、借入金の返済として合計六五万円が支払われたようになつている日時は、右簿外預金の入金がなされている二日前の昭和三三年一一月二九日であることが認められるから、右簿外預金の入金が前記三名に対する借入金の返済を仮装したことによつてなされた入金とは認め難い。

11. 別表第六の二記載の昭和三四年一月五日の預入金七〇万円について

前記乙第四六号証によれば、昭和三四年一月五日に原告の公表預金から預金の払出がなされた事実はないことが認められる。もつとも同証拠によれば、昭和三三年一二月末日に公表預金から四口合計九七万円の払出がなされていることが認められるが、一方前記乙第五二号証によれば、同日原告は日米鉱油株式会社に対し一〇〇万円を支払つていることが認められるから、右年末の払出金は右支払にあてられたものとみるのが相当である。

12. 別表第六の二記載の昭和三四年一月一〇日の預入金一八万円について

原告の主張自体いかなる性質の金員を預け入れたのか明らかでないばかりでなく、篤義が個人として右簿外預金の入金日のころその入金額に見合う現金を入手したことをうかがわせる証拠はない。

四、次に、興収の利益率について検討する。

証人岩田勇の証言、同証言により真正に成立したものと認められる乙第三二号証の一、二によれば、原告の興収の利益率は、昭和三一年度一四・五パーセント、昭和三二年度一五・二パーセント、昭和三三年度一五・一パーセントを下回らないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

五、ところで、被告が別表第一で昭和三一年度の原告のほ脱興収として主張する額は六五三万四、七四五円であるのに対し、別表第四の一ないし三によれば、被告が簿外預金から推計している同年度のほ脱興収は六五二万八、七一五円となつていて、被告の主張額より六、〇三〇円少くなつており、同金額に右四の同年度の利益率を乗ずると八七四円(小数点以下切捨)となる。しかし、昭和四四年九月四日付の原告提出の準備書面添付の「昭和三一年度所得金額の更正処分取消請求の根基」によれば、被告が本訴において昭和三一年度の原告の営業外収益として主張する額が一三七万四、九八四円であるのに対し、原告は右収益を一六五万八、五三六円と自認していることが認められ、右事情を考慮すると、結局原告の昭和三一年度の総所得金額は、被告主張の総所得金額二四四万六、四七八円を下回らないことが明らかである。

六、右一ないし五を総合すれば、原告の昭和三一年ないし昭和三三年の各事業年度につき、被告主張の金額の所得があつたことが認められるから、被告が原告に対してした本件更正処分等に事実誤認の違法はない。

また原告は、本件更正処分等に対する審査請求について現在に至るまで裁決がなされないままになつていることによつて、本件更正処分等自体が違法性をおびる旨主張するが、審査請求があつた日から三カ月を経過しても裁決がなされない場合には裁判所に対し取消訴訟を提起することができる(旧行政事件訴訟特別法第二条、行政事件訴訟法第八条第二項第一号)のであるから、審査請求に対する裁決がなされないことをもつて、直ちに本件更正処分等自体が違法性をおびるものとは解し難い。

よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 湯地紘一郎 裁判官 坂主勉 裁判長裁判官寺井忠は転補のため、署名押印することができない。裁判官 湯地紘一郎)

別表第一

昭和三一年度分の所得金額

<省略>

<省略>

別表第二

昭和三二年度分の所得金額

<省略>

別表第三

昭和三三年度の所得金額

<省略>

別表第四の一

映画興行収入金(ほ脱興収税込)計算表

昭和31年事業年度

<省略>

注1. <1>は別表第四の二および別表第四の三の<2>の各月計額を示す。

注2. <2><3>は別表第四の二および別表第四の三の<2><3>の各月計額を示す。

別表第四の二

ほ脱興収算定明細表(その1)

鹿児島銀行川内支店、普通預金、口座番号3452

預金名義 福山トキ子

(31事業年度)

(1)

<省略>

(2)

<省略>

(3)

<省略>

(4)

<省略>

(5)

<省略>

(6)

<省略>

(7)

<省略>

(8)

<省略>

(9)

<省略>

(10)

<省略>

別表第四の三

ほ脱興収算定明細表(その2)

鹿児島銀行川内支店、普通預金、口座番号4280

預金名義 東佐代子

(31事業年度)

(11)

<省略>

(12)

<省略>

(13)

<省略>

(14)

<省略>

(15)

<省略>

(16)

<省略>

(17)

<省略>

(18)

<省略>

別表第五の一

映画興行収入金(ほ脱興収税込)計算表

昭和32年事業年度

<省略>

別表第五の二

ほ脱興収算定明細表

鹿児島銀行川内支店、普通預金、口座番号4280

預金名義 東佐代子

(32事業年度)

(1)

<省略>

(2)

<省略>

(3)

<省略>

(4)

<省略>

(5)

<省略>

(6)

<省略>

(7)

<省略>

(8)

<省略>

(9)

<省略>

別表第六の一

映画興行収入(ほ脱興収税込)計算表

昭和33年事業年度

<省略>

別表第六の二

ほ脱興収算定明細表

鹿児島銀行川内支店、普通預金、口座番号4280

預金名義 東佐代子

(33事業年度)

(1)

<省略>

(2)

<省略>

(3)

<省略>

(4)

<省略>

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